1926年に設立された世界最古の自動車会社であるベンツ。
メルセデス・ベンツの歴史は、自動車そのものの歴史なのです。

そのルーツとは。。。

ベンツ& シー・ライニッシェ・ガスモトーレン・ファブリークとダイムラー・モトーレン・ゲゼルシャフトで1900年から使用されていた「メルセデス」を始まりとし、
その後1926年の合併により正式に「メルセデス・ベンツ」ブランドがスタートしました。

1920年代には当時ヨーロッパで盛んになっていたモータースポーツに積極的に参戦し、数々の好成績を収めその名声を確固たるものにした。
その後、1926年にゴットリープ・ダイムラーが創設したダイムラーと合併します。

1930年代以降はドイツ政府が国策で自動車事業の推進が追い風にもなり、特に政府高官が愛用して同盟国にも送られたました。
メルセデス・ベンツの最高級車は世界の自動車の象徴的存在となりました。
もちろん日本でも多くの著名人の愛車として利用され1912年にメルセデス・カルダンヴァーゲンが御料車として輸入されたのがベンツが日本に来た最初です。
また昭和天皇の御料車として15年以上使用された実績もあります。

一方で第二次世界大戦への突入により、ダイムラー・ベンツ社は軍事企業として、航空機用エンジンの開発や製造に注力していくことになるのです。

そして他のドイツの自動車会社と同様に、戦況悪化に伴いメルセデス・ベンツの乗用車の販売も一旦は途絶えることになるのです。
1945年、第二次世界大戦の終結により東西に分割されたドイツでしたが、幸いダイムラー・ベンツの工場のうち乗用車の生産設備は西ドイツに集中していました。

そこで1946年からはメルセデス・ベンツのブランドで、戦前からエントリーモデルとして販売されていた170Vの製造が再開されました。
1951年以降は中・上級モデルが再登場しました。
この時期、メルセデス・ベンツは戦前に注力していたスポーツカーの開発やモータースポーツへの参戦にも精力的に取り組みます。

一方、「300SLR」というモデルも僅か9台のみ生産されていました。
300SLRは同時期のレーシングカーであるコードネームW196の市販版として製造されたもので、300SLとの技術的関連性は無いものの、300SLの販売に於いてのイメージリーダー的存在となることが期待されていたようです。
しかし300SLRの1台は1955年のル・マン24時間レースでスタンドに突入する大事故を起こし、ドライバーと観客合わせて83名が死亡するモータースポーツ史上最悪の大惨事が起こりました。

メルセデス・ベンツはこのとき既にF1レースからは撤退を決めていたと言われていますが、この事故を受けて耐久レースからの撤退も決定、以来30年間に渡ってモータースポーツから遠退きます。

メルセデス・ベンツの存在感が大きくなる一方で、陸海空の複合企業としてのダイムラー・ベンツも再生を始めていました。

1970年代には、ヨーロッパでは旅客機の製造開発を行うエアバスが発足していますが、この事業にもダイムラー・ベンツは深く関与しました。

その後も様々なことがあり、現在、メルセデス・ベンツの車種数は非常に増加しています。
その製品群は、1980年代までとは全く思想の異なるものです。
しかし安全性や経済性への配慮は続けられていて、自動車のあるべき姿を模索し続けているという点では、その姿勢は共通しているのかもしれません。